1961年(昭和36年)
5月30日

まだまだ田畑が広がる地域で、美松ヶ丘はありません。勢野北口駅がすでに開業されているので、かすかに確認することができます。
1964年(昭和39年)
10月1日
東海道新幹線が営業運転を開始しました。
10月10日
日本で初の開催となった東京オリンピック(東京五輪)が開催されました。
元々は、1940年9月21日に東京でオリンピックの開催が決定されていましたが、日中戦争などの長期化などが元になり、開催権を返上することになった経緯があります。
1966年(昭和41年)
4月1日
三郷村が町政施行し、三郷町となる。
1967年(昭和42年)


美松ヶ丘が造成される前に勢野北口駅で撮られた写真です。
この当時『美松ヶ丘』の名称はまだなく、『王寺グリーンポリス』の造成工事の看板が見えます。ちょうど現在、ヤオヒコ三郷店の方向を撮った写真となります。この王寺グリーンポリスが、のちに美松ヶ丘グリーンポリスに改名され、美松ヶ丘の元となります。まだ駅前には美松ヶ丘に通じる道はなく、駅の西側の南北の道があるだけでした。そのため、造成地への入り口は現在の勢野東(信貴川沿いの旧北垣内)からの道しかなかったそうです。
当初、信貴生駒電気鉄道(現在の近鉄生駒線)は、全線を複線化する予定があったため、複線分の土地が確保されており、現在の勢野北口駅の南側に空き地があるのは、反対方向のホームの建設ができるように確保されていたためだそうです。
1968年(昭和43年)



現在の東信貴ヶ丘2丁目3番地付近から信貴山方面を取った写真です。手前に移っている黒い線は近鉄生駒線の線路です。 造成が開始されていることがわかりますが、田畑であった場所を切り崩している状態で、まだ町の面影もありません。
この当時の地域の通称は美松ヶ丘グリーンポリス(造成時に王寺グリーンポリスとして造成がされた地域で現在の美松ヶ丘西1・東1~2丁目の西側)でした。


広報誌みまつ2022年1月号を発行した後に提供いただいた写真です。1968年4月13日の造成工事見学会の際に勢野北口駅を現在の跨線橋付近から撮影した写真です。ホームが今より短く、簡単なホームがあっただけであったことがわかります。また、駅前には道はなく、田んぼのあぜ道に無人の踏切があるような状態でした。
また、美松ヶ丘西1丁目付近はまだこの当時は造成で土地が削られておらず、高台になっていましたので、東信貴ケ丘方面を撮った写真では、目線より少し低い位置を1両編成の電車が走っていることが見て取れます。